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最近のあれこれ

最近のあれこれ

俺は玉子が好きだ。生玉子はもちろん、黄身が半熟で白身が固まったやつ。はたまた黄身までもが充分に固まったやつ。スクランブルエッグや玉子焼きなど。玉子に関しては多分どんな調理法でも好きだ。例えば蕎麦や、先日焼鳥店で食べたつくねなんかでも玉子を添えることができるのであれば特に考えずにそうしておけば数分後の俺は喜ぶ。以前、三軒茶屋の人気ハンバーガー店に友達の家族と行った際、ハンバーガーに目玉焼きとアボカドをトッピングした。そのことによりハンバーガー特有のデンジャラスが増し、ちびっ子を含む10人ほどの中で俺が最も手や口のまわり、そしてテーブルを汚した。ペーパータオルを最も沢山使った。トッピングを追加した時点でグチャグチャな感じになるであろう事は勿論わかっていたが、それでも俺はちびっ子のお手本になる事を拒み欲望のまま目玉焼きをトッピングしたのだ。アボカドも。これはもう好きを通り越して、玉子を食べなきゃいけないという使命感。または「やっぱ玉子も頼んどけばよかった…」という後悔をしないためのおまじないといったところなのではないのであろうか。
ここまで玉子を特別視するようになったきっかけを俺は鮮明に記憶している。
あれは小学生の時、家族で訪れた”セドル”という地元のローカルなレストランでのことだった。
沢山あるメニューの中から迷いながらも”生姜焼き”というのを選んだ。何故ならば、あの生姜を焼くってなんなんだ一体それは?という興味からそれを選択したのだ。そして弟は”ハンバーグ”を注文した。「なんて普通なんだ弟よ」俺はそう思った。仕方ないから少しだけ、俺の焼いた生姜をあげよう、と、そんなふうに考えながら焼いた生姜を待った。数分後、目の前に置かれた茶色い肉を見た俺は「これは僕のではない」と伝えたが、どうやらそれが間違いなく生姜焼きである事を数人の大人に教えられ、その見た目のあまりの普通さにブルーな気持ちになった。さらにブルーに追い打ちをかけたのが、弟が注文したハンバーグにはなんと目玉焼きが乗っていたのだ。ハンバーグに目玉焼きが乗っているなんて…美しかった。うらやましかった。目玉焼きが乗っているとわかっていれば、俺もハンバーグを注文していたかもしれない。案の定、黄身はトロトロだ。俺は黙々と生姜と共に炒めた豚肉、すなわち生姜焼きを食べた。うまかった。その時の、ハンバーグの上に乗った目玉焼きこそが俺を「玉子が好きな人」に仕立て上げたのだ。
しかし最近、俺のタマゴを愛する気持ちはあやしい。以前も書いたが、「牛丼にタマゴをかけなくてもうまい」という事を実感してしまったあたりから、少しずつではあるが玉子離れが進んでいるようなのだ。先日、焼鳥店で注文したつくねも、もちろん「月見」にしたが、食べてみて「玉子がなくてもうまかったかな」。などと思ってしまったのだ。特に玉子に興味がなさそうな妻のつくねも「月見」にしておきながらそう感じたのは罪だと思っている。今後は当たり前のように玉子を乗せるのではなく、本当にいま玉子が食べたいかどうか。この料理を食べる際俺には本当に玉子が必要なのか。しっかりと自問自答して、それでも食べたい時にだけ、玉子を追加しようと、そう思った次第です
俺は酢が好きだ。うちの冷蔵庫には大量の刻んだ玉ねぎを酢に漬けておいたものが常備されている。これは薬味として秀逸で、肉料理など様々なものにかければ素晴らしい相乗効果をもたらす。刻んで漬けるだけなのに凄いのだ。もちろん玉ねぎが無くたって酢は好きだ。俺の酢好きは「お酢をかけるとおいしいよ」と言いながら麺類に酢をかけて食べていた母からの影響である。「そんな食べ方があるのか!?」と、衝撃を受けたのである。食の初期衝動といってもいい。かけすぎて怒られたこともある。しかしだ、最近の俺は酸味が若干苦手だ。なんでだろう?それでも酢玉ねぎは重宝しているのだが、それ以外の、例えばポン酢なんかを使うと、どうも角が立ち過ぎているように感じてしまうのだ。どうせ一過性の事であろうと軽んじていたが、どうも本格的に味覚の変化があった、のかもしれない。気持ちではまだ大好きだし、お酢が好きな人でい続けたい。色んなおいしい食べ物にかけて相乗効果を味わいたいのだが、味覚がそれを拒む。なんだかちょっと寂しいような、はたまたどうでもいいような。
最近のサックススターはだいたいそんな感じです。
ちなみに酢と玉子と油で作るあの有名な調味料 “マヨネーズ” もすごく好きだったが、最近そうでもない。